2011年3月11日

NOTE

昨年2021年3月11日に「Always With You」をYouTubeに公開しました。

My heart is always with you…
決して忘れられない想いがある。
この10年間を、とても言葉では言い表せないけれど
当時のことを思って今も胸が痛む。
この曲は祈りのつもりで弾きました。
動画の中では自分自身の10年間についての文章を書いていますが
どのようにすればこの曲に込めた気持ちを表せるのか悩みました。
この日にアップロードすることも・・・本当にいいのかどうか考えました。
でも、どうしても何かしたくて、私は何も出来ていないけれど、「Always With You 」を作りました。言葉は本当に難しいですね。音楽も。

My Heart is always with you
私の今の気持ちです。

https://youtu.be/yJc0kAFO7YU

そうして、また1年が経ちました。
2022年3月11日がやって来ました。
今年はこの日に曲を作ることはしませんでしたが
心にある、想いを書き記しておきたいと思ってこのNOTEの文章を書いています。

✳︎

2011年3月11日、あの日のこと。
覚えている。
あの日以降の記憶。
あの日以前の記憶。
私自身、あの日を境に大きく変わったものもあった。
詳しくは書けないけれど
とにかく不安で混乱していた日々だった。
誰もが傷を負った。

震災以前に、福島県いわきの人たちと交流があった。
いわき市も訪れた。
すごくいい思い出がある。
地震の起きたときは私は東京に住んでいて、
その直後に いわき出身の年下の女の子と3日間ほど一緒に過ごした。
彼女は一人暮らしで上京して来たばかりで一人だと心細いだろうと思ったから
何かできるなら力になりたいと思っていた。
スカイプでいわきの子達ともテレビ電話した。
この先どうなっていくのか不安で不安で仕方なかった。
身近な人の中に大きな被害を受けた人はたまたまいなかったにしても
東京にいても地震直後の影響は大きかった。

あの時に感じたのは、「命が何より大事」ということだった。
まず第一に命が守られなければ、何も出来ないんだと本気で実感した。
そして自分の無力さを知り、この状況をお願いだからなんとかして欲しいと祈ることしか出来なかった。
いつ何が起こるかわからない。
阪神淡路大震災の時もそうだった。
あの時は小学生で、見慣れた街が一瞬にして変わってしまった光景に衝撃を受けた。
明日も会える、保証はどこにもない。

そういう出来事を経験するたびに、どれだけ普通の日常が送れることがありがたいかを思い知るのに
時間が過ぎれば忘れてしまう私たち。
でも、少なくとも11年前の3月11日以来は、このことを忘れられずに過ごして来たように思う。
それだけ大きな出来事だったから、自分にとって。

今もまた世界では命が奪われている。
これは災害ではない。
避けられるはずの事態ではなかったのだろうか。。。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、と考えても考えてもわからなくなる。
原因解明よりも、今の現実に起きている緊急事態をとにかくなんとか出来る方法はないのだろうか。
誰にも助けられないのだろうか。
世界中の知恵を集めても不可能なのだろうか。。。

3月11日に再び、強く願う。
命が守られますように。
弱い立場の人がいつも酷い目に遭うのは悲しすぎる。

本当になんにも出来ないんだなぁ。
祈りは慰めにはならないのだろうか。

✳︎

ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ第2楽章をピアノで弾きました。
やさしい楽譜に編曲されたものです。
私はこれくらい簡単な曲しか弾けません。
この曲に込められた作者の意味は今となってはわからないけれど
こんなにも美しい響きによって弾く者の心を癒してくれます。

これからも、自分にできること、限られているけれど
離れていても 想い続けて、祈り続けて、希望を探し続けていきたいと思う。

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