今日は2022年12月31日土曜日です。(これを書いた時点では・・という意味です)
この「まとめ」NOTEも12回目です。
今年の1月から月末ごとに1ヶ月分の【まとめNOTE】を書くようにしていますが
ついに「12月まとめ」まで来ましたぁー。
12月は個人的にもイベントが多かった月でしたね。
「あせらないラジオ」も金曜日が5回あった月なので5回分を無事に配信できました。
ホントお疲れ様でした。
振り返ろうとしてもいつもメモするダイソーの手帳に今月はほとんど書いていなくて
寝る前に日記を書く間も無くすぐ寝ちゃうって感じの毎日でした。
写真を毎日のように撮っているので写真を見返すと
「あぁ、こんなことあったなぁ」と1ヶ月以内のことでも忘れちゃっていて
なんだか目まぐるしくて1日があっという間に終わっちゃうなぁ、と感じる日々でした。
そして今日はもう大晦日なので時が過ぎるのはびっくりするほどスピーディーですね!
今年は紅白歌合戦をいつも以上に真剣に見守らなくてはいけない事情があったので
(いつ画面に映るか分からないので・・・笑)
2023年になる前にこの「12月まとめ」を書き上げたいと思っていいたのですが
間に合わないかもしれません・・・
あと30分くらいですー。(結局間に合いませんでしたね笑)
「あせらないラジオ」12月分 #66 #67 #68 #69 #70 まとめて YouTube版を載せます↓
この「あせらないラジオ」#66 で「児童文学の世界をもう一度」特集したことによって
#69 でのクリスマス特集内での『賢者の贈り物』朗読をすることにつながりました。
#67 と #68 は羽生結弦さん『プロローグ』特集でたくさんトークしたのですが
まだまだ語り尽くせずに、このあとにも特集が続く形になっています。
羽生結弦さんの『プロローグ』横浜公演・八戸公演ともに
私は映画館のライブビューイングで生中継を見てきたのですが
プロアスリートとなって新たに出発した羽生さんが
競技ルールの制限をなくした上で、今までに磨き上げてきた技術を表現にすべて詰め込んで
ひとつのショー作品を作り上げていくドキュメンタリーを目撃した感がありました。
もはやフィギュアスケートの枠組み内ではなく
これまでに誰もやったことがないことをこれからも突き詰めて突き詰めて
「羽生結弦」という名のジャンルのパフォーマンスを
羽生さんの納得のいく形で「やり切った」となるまでは創作し続けるんだろうなぁと
「プロローグ」はその名の通り「序章」であって
「本編」の物語はこれからも続いていくのでしょう。
ふと高村光太郎の「道程」を思い浮かべますね。
高村光太郎「道程」からの一節↓
どこかに通じている大道(だいどう)を 僕は歩いているのじゃない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立っている
話はそれますが、たぶん国語の教科書に出てきたであろう「道程」は一部分であって
こうして大人になってから詩の全体を読んでみると
あぁ、そんな意味がそこにはあったのかぁと今は新鮮に感じますね。
これも詩の暗唱をしたようなおぼろげな記憶がありますね。
「道程」の方じゃなくて「冬が来た」だったかなぁ。
「道程」は詩集のタイトルでもあったので
『道程』(詩集)の中の一編が「冬が来た」と「道程」(詩のほう)なんですよね。
冬が来た
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹いてふの木も箒ほうきになったきりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背そむかれ、虫類に逃げられる冬が来た冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食ゑじきだしみ透れ、つきぬけ
https://4seasons-poetry.com/archives/1042548230.html
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た
「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」ってところは
なんか特に印象的で覚えていますねぇ。
話を戻しますと、
羽生結弦さんの『プロローグ』があまりにも素晴らしいと感激したので
おうちでプライベート上映会を12月は2回開催しました。
羽生くんファンの方(熱烈な方と、そこまでではないけれど普通に好きです、という方)や
親しい方をお招きしての上映会だったので
なるべくなら集中して映画館のライブビューイングの時のような入り込んだ状態で
見ていただきたい(せっかくなので!)と思い・・・
ホストの私たちは上映中はなるべく喋らないようにして
見終わったあとにおしゃべりするようにしました笑
「自分の好きなものを無理矢理に押し付けてはいけない」と思いながらも
ついつい「これ美味しいよ」「これ便利だったよ」
「これいいですよ」っていうのを人にも言いたくなっちゃう方なんですよね。
まぁ、それはタイプによるのかもしれないですけどね。
反応も人さまざまで「興味ないです」「知りたくないです」ってはっきりと言える方も
いらっしゃれば、気を遣ってか、こちらに合わせようとしてくださる方もいらっしゃいますしね
羽生くんに関しては長年にわたってずっと好き過ぎて冷静な目で見られてない自覚はありますが
「贔屓目を抜きにして」ってのを心がけてはいるんです、これでも。笑
何に関しても「ファン」ってのはありがたいなぁーと感じますね。
ただまぁ、ファンがたくさんいると、それはそれで期待やファンの望むものも大きくて
背負っている荷物が増えていくのかもしれませんが・・・
羽生くんに関しては、最近はもう一段と突き抜けたところにいて、
自分の存在によって波及していく諸々すべてを背負っていく覚悟ができているんだな、と感じます。
ご本人としては「背負う」とは違う感覚なのかもしれないけれど
「応援を自分の力に変えていく」と仰っていたかな。
期待は重圧になりプレッシャーに押しつぶされそうになるように
私のような特に何も重圧のない立場のものからは
想像を超えたところに今の羽生さんの状況はあって
言葉で言うよりもずっとずっと特殊なんですけれど
やっぱりもう「スーパースター」なんですよね。
生身の人間ではあるけれど、理屈でなく人を熱狂させてしまう魅力を持っている人というのは
生き方も、ある部分ではその魅力を人々から求められるばかりに
自分の意志だけでは行動できないくらいになってしまうのかなぁ、と
録画していたプリンスの1985年のパープルレインのコンサートの映像を見ながら
羽生さんと重ね合わせて思っていたりします。
唐突にプリンスが登場しましたが、
羽生さんが2016-2017シーズンのショートプログラムにプリンスの「Let’s Go Crazy」を
使用していたんですよね。
その後もエキシビションでも何度か披露してくれている人気プログラムです。
プリンスは2016年に57歳で亡くなってしまいましたが
私は「パープルレイン」だけは前から知っていて曲が好きでした。
あ、それからバイト先の店長さんが、「これいいよ」って貸してくれたのが
プリンスの『Musicology』というアルバムでした。忘れてたけど今、思い出しました。
あと、2007年スーパーボウルのハーフタイムショーの時のパフォーマンスは
雨に濡れながらの「パープルレイン」はドラマティックで伝説的ですよね。
で、羽生さんの話に戻りますが、プリンスの「Let’s Go Crazy」の演技は
試合会場なのにその時間だけまるでライブ会場になったかのようにその場が一瞬で変化するんですよね。
まだ歓声を出しても何の問題もない時期だったので、
観客の歓声も一体感も本当にものすごかったです。
で、プリンスのことは私はほとんど詳しく知らないまま亡くなってしまったので
後追いしかできないわけなのですが(リアルタイムでは体験していないという意味です)
彼も映像を見ているだけでも天性のスーパースターの魅力を感じます。
そして、羽生くんが「Let’s Go Crazy」を演技したことによって
熱烈なプリンスファンの方までが羽生くんに注目してくれるようになり
その方の書かれるプリンスについての愛に溢れた文章を読むことで
また逆にプリンスを新たに知ってゆくことが出来たり、という交流があったわけなのですが
なんか話がどこに向かうんだろう?って感じになってきていますが
やはりリアルタイムで同時代のスターの活躍を体感しているかどうかで
その対象への入り込みっぷりは違ってくるだろうなぁ、と思うのです。
たとえば、羽生くんのずっと後に生まれた人が映像で羽生くんの演技を見て凄い!と感動して好きになって
彼の映像をたくさんたくさん見てファンになっていくことはこれから先に
起こりうることだと思いますが、
それでも同じ時代に見ているのとは、やはり異なる感覚であろうと感じるのです。
だから、いま見られている私たちは幸せだって、まあそういう話なのですが笑
でもそれとは別にして、映像が残っているというのは
それもまた素晴らしく幸せなことだと感じます。
そういう記録するもの自体がなかった時代のものは記録として遡ることは出来ないのですから。
【12月まとめ】と言いつつ、なんか自分の12月のことを振り返っていないようですが
ただ、「あせらないラジオ」でも特集しましたように、羽生結弦さんの「プロローグ」公演が
11月12月とあったので、あらためてまた羽生くんに魅了された月でもありました。
羽生結弦さんのまわりの方々について、私たちファンは羽生くんをきっかけに初めて知って
そこから世界が広がっていったことがこれまでにたくさんありました。
たとえば、音楽にしても羽生選手がプログラムで使う曲はそのシーズンは
必ずくりかえし耳にすることになりますので曲の背景についても詳しくなりますし
映画やミュージカルが題材の場合はその作品にも触れることになります。
「オペラ座の怪人」「ロミオとジュリエット」「ノートルダム・ドゥ・パリ」「陰陽師」「天と地と」(上杉謙信の大河ドラマ)ショパン、ラフマニノフ、スクリャービン、久石譲、プリンス、ゲイリー・ムーア、ドアーズ、ジャスティン・ビーバー、MONKEY MAJIK、指田フミヤ、サラ・オレイン・・・
プログラムに使用した楽曲だけでも書ききれないくらいの曲数が既にありますし、
アイスショーで共演してショープログラムで滑ったものも合わせると、
長年のファンであっても一瞬忘れてるものもありそうなくらいのキャリアがあります。
私は福間洸太朗さんというピアニストの方は羽生くんのアイスショーで初めて知りましたし
それがきっかけで福間さんのピアノコンサートに何度も行くくらいにファンになりました。
音楽以外でも、羽生選手を撮っているカメラマンのみなさんも
羽生ファンの間ではすっかり有名になっていてそれぞれカメラマンの方の写真を見るだけで
これは「〇〇さんの撮影かな?」と話が弾むくらい、注目度が高いです。
スポーツ報知のカメラマン矢口亨さんの言葉に
人間は表現するために生きてる。
撮影の仕事を通してそう感じるようになりました。
報われない努力なんかない。ただ表現があるだけ。彼を見る度に、自分も頑張らないと(と)思いました。彼の挑戦に捧げた時間すべてが「羽生結弦」なのだと思います。
僕はこの大会の「天と地と」が大好きです。
https://twitter.com/yaguchi_toru/status/1491911397873434625?s=20&t=7uIdgenKGrlvdQXZMlOqeQ
この言葉を見たときに私は矢口亨さんという方のことも何だか勝手にですが
素晴らしい感性を表現の仕事にされている方だなぁと感動してしまって
「表現するために生きてる」人として自分も生きていっていいんだ、と
励まされた気がしました。
そう、だから回りくどい書き方になっちゃってるかもしれないですが、
私の言いたかったのは
「たまたま、というか時のめぐりあわせで今スーパースターの立場にある人だけが凄い」と
いうことではなくて、どんな人にもその人なりの何かしらの役割があって
何も役に立つようなことしていないようにたとえ感じられたとしても
存在していることに意味がないわけではないはずだってことを
常々信じたいと思っているし、表す形は違っていても、その人にしかない「表現」があるはず
と自分のことも含めて、なのですが、なんていうのかなぁ、、、
羽生さんは目立つところにいるからすごく特別な存在のように見えるけど
もちろん特別なところもいっぱいあるのですが、
だけど、その「特別な存在」の対極に「普通の」「平凡な」人たちがいるわけではなくて、
それぞれにその人の「仕事」(職業という意味ではないです)があるはずだから
「みんな頑張ってるんだよ」ってことを羽生くん自身もよく言っていますし
わたしもそういう風にだんだんと思えるようになってきたのです。
すべての人に「賜物」が与えられている、という考え方は
聖書にも書かれていて(ローマ12章6節)
私は受洗してからも長い間、自分に自信が持てなくて「表現したい」という気持ちがあっても
なかなか勇気が出せずにいました。
そして、羽生くんを応援することで自分の代わりに「表現している」人を見つめて心は憧れながらも
実際の行動に移すまでには長〜い時間が掛かりました。
ちょっとしたきっかけで人って何かを始められることがあるんですね。
「ちょっとした」ことになるのかどうかは、その人にとって変わってくるので
「あせらないラジオ」でも言ったことあるのですが、
「出会うか出会わないか」「出会うべきときに出会えるかどうか」
が大事だなぁと実感するのです。
で、自分の好きなこと、人、ものに対しては、「好き」と思いっきり言っていこう!と
最近は特に強く思っていて、
これもラジオでまた話した気がしますが「好き」は伝えようとしなければ伝わらないこともあるから。
私には、ただただ一方的に応援させてもらっている方がいて、その方の存在によって大げさでなく日々の生きる希望をもらっています。
https://youtu.be/psTCaoFZVCg
その方が一生懸命に頑張っている姿を見て、自分も毎日少しずつでも頑張ろうと素直に思えるのです。
そんな思いから始まって、頑張っているすべての人に伝えたいことば「(あなたがいてくれて)うれしい」と「ありがとう」を歌っています。
生きているうちに伝えないと、会えなくなってしまってからではもう伝えたくても伝えられない、そんな思いも込めています。
もっとじょうずに作れたら、、、歌えたら、、、いいのですが、どうしようもなくこれが今の私なのでそのまま記録しています。
これは2020年8月に公開した曲だからもう2年以上も前の想いですが
「原点回帰」で、いつも忘れないでいたい気持ちです。
さあ、2022年は駆け抜けましたね、「ゆったりとまいりましょう〜」を合言葉にしながら
自分の中では「ゆったり」時間が足りていなかったかもしれません。
でも、やれるだけのことを日々積み重ねて来れた感覚があります。
もう昨日から始まっていますが、2023年は既にハッキリとした予定が控えているので
それに向かって準備していきます。
体調に気をつけて、自分らしくいきましょう〜。
いつもありがとうございます!!!2023年どうぞよろしくお願いいたしますねっ♪