「わかる」と「わからない」

NOTE

2023年5月も、もうすぐ終わりますね。

我が家ではここ長いこと5月といえば薔薇のための季節なんです。

わたしは撮影係ですけれど、この時期のいちばん良いところを記録するために

庭に出て写真と動画を撮ってはベストな瞬間を探しているのです。

何をベストとするかはそのときの自分の感性による判断なので

いいも悪いも全部「主観」ですが、基本それでいいのですよね。

「いいな」って思う感覚。

それに従って、心が動かされるものを求めて それを誰かと分かち合って

そうやって生きていきたいなぁって

そんなふうに感じながら作っていました。

動画も。曲も。

すべてがわたしにとってはオリジナル作品となりうる

日々生きている「あかし」を「しるし」を

評価とは別のところで

「作りたいから作る」に基づいてこれからもやっていこう〜と

基本路線をあらためて確認しました。

タイトルにしている「わかる」と「わからない」

これって究極的にはどっちでもいいや〜ってなってくる時ありませんか?

「わかる」の感覚が絶対的に間違ってない!って言い切れないし

「わからない」の感覚が絶対的に正しいかどうかも証明しきれない

「わかる」も「わからない」も同じようなことのように感じる時があって

それって「わたし」が「わかる」のも「わからない」のも「わたし」からいったん外に出て

再現できる感覚ではないっていう意味においては「同じ」だなぁ

ってね・・・

「匂い」「臭い」だって疑う時があるんです、自分で。

「いま こんな感じの匂いがした気がしたけど ほんとうにしてる?

もしかしてわたしがそう錯覚しただけじゃないかな?」って。

変ですか?

変かもね。変でもいいんだー。

それだって「わかる」ような「わからない」ようなもの、かもね。

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