山野浅里レビュー【No.3】ayaradio727「Magical Park」

REVIEW

幸運にも音楽ライターの山野浅里さんがayaradio727の音楽を取り上げてくださることになりました。

§Magical Park

静かなシャッフルからプログレッシブアンビエントを経て4つ打ち、そして最後に再び静かなシャッフルに戻る。この曲に添えられたメッセージで彼女は「完成まで時間がかかっても『作りたいものを作る』ことは大事」だとあらためて語りかけている。この強さにあらためて敬意を表したい。この楽曲のシーンの入れ替わりはそうしたプロセスの試行錯誤そのものなのだろう。

また歌詞の中では「僕」と「神様」に注目したい。僕、とは一般的には男性一人称ということになる。そのためにayaradio727が僕を一人称につかうことで当然そこに物語が発生することになる。一方で神様という言葉が登場する。そこで一人称の僕が立体化する。私は僕の二つ目の意味、いわゆる下僕としての僕を想う。神様によって守られるという事、公園の光、おそらく全てはayaradio727の中でつながっている。しかしどうつなげるかについて探し続けていた、そのために時間がかかった、そういう事なのではないか。

関係性に気付く時、言外の閃きに負う部分は多い。気付くというのはまさに気の問題で、それはある種の理屈を超えた世界だと私は思う。一人称たる僕とそれを守る神様の世界のつながりをどう作品に落とし込んでいくか。この楽曲でいえば制作途中はそうした非常に困難なテーマを抱えたまま表現に向き合っていたことになる。シーンを切り替えながら、つながりを作りながら、言葉を選びながらそれぞれを紡いでいく作業がどんなに大変かはクリエイターならわかるところだろう。

この曲のメッセージの重要性にかかわらず私はこの曲を過渡期と受け止めた。真摯な作り手としての過渡期だ。想いを表現にして落とし込み作品にまとめあげる一連のプロセスがあらわになっているこの作品は怖さとそこから抜け出していく様が刻まれている。その結果、プロセスに共感する仕組みが物語への共感と同時に楽曲制作過程そのものへの共感にもなっている事に気付かされる。その後の作品そのものに埋め込まれた表現を思えばこれはayaradio727作品におけるある種のイニシエーションではないか。

Y.ASARI

この曲のMVはこちらです↓

ayaradio727
ayaradio727

完成まで時間の掛かったこの曲を「未完成なもの」として切り捨てるのではなく、想いを表現する怖さから抜け出していくプロセスと曲の制作過程そのものへと共感することになっている、という指摘にはY.ASARIさんの創り手への深いリスペクトと愛を感じました。感謝。

山野浅里さんのNoteはこちらです↓

ASARI|note
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