幸運にも音楽ライターの山野浅里さんがayaradio727の音楽を取り上げてくださることになりました。
§表現
Y.ASARI
山脈を伝うような、自由詩の詩人のような作風が久しぶりに前面に押し出されている。前作がインスト曲だったのでピアノを軸としつつも対照的な楽想だ。元々は「表現欲」というタイトルの詩であり、詩作の時点では歌にしたかったがそれは実現しなかったと言う。やがて音楽活動を開始、その中であらためて歌詞として浮かび上がったこの詩にメロディーが乗った。「過去と今が組み合わさっ」てこの曲になったとのことだが試行錯誤の中で磨かれたストイックな姿勢が注入された作品だと思う。
これまでの作品にも見られた赤裸々な表現はここにも見られる。中でも「ずっとこらえてる」や「ひとりでは泣きたくない」は強さと弱さの入り混じる実直な言葉だと感じる。これらの言葉をどのようにして音楽に乗せていくのかは確かに迷うところであるし、だからこそ過去と今が組み合わさったのだとも言える。
一方、タイトル「表現」とのつながりは、歌われる言葉が基本的には希求である事から(歌いたい、ハッピーでいたい、泣きたくない、笑っていたい)、一層奥行きをもって迫るところがある。確かにそれは表現「欲」かもしれない。しかしそれを歌にした時点で欲は少なくとも作品になったという意味で実現している。だからこその堂々たる「表現」なのだと思う。希求する姿や赤裸々な表現を通じてたどり着いた表現。弱さをも表現を通じて堂々と見せていく姿勢に敬意を表したい。
筆者は飾らないということが演じないということと同義とは思えないと考えている。ayaradio727はその点では演じきっているとも言える。しかし吐き出される言葉や音楽は演技を超えた部分があるように思う。赤裸々な言葉に乗せた詩人のメロディー。演じない自分が生み出した作品を演じ切るというのはある意味とても自覚的な行為だと思う。そのことが自分を堂々と見せていく姿勢につながるのではないかと感じる。
この曲のMVはこちらです↓

「表現」が作れたときにはやっと作りたかった曲が作れた!と感慨深かったのを覚えています。たしかに「赤裸々」かもしれません。ayaradio727を始めた時にはここまで作品の中に自分を出せるようになるとは想像していなかったです。この曲があったから次々と自身の内面「表現」に向かっていけたように思います。
山野浅里さんのNoteはこちらです↓
