今日は何日でしょうか。
11月26日ですね。
2022年に入って1月からは月末に「その月のまとめ」日記を
このNOTEに書くようにしていたのですけれど・・・
ここまで書くのが月末から遅れたのは初ですね。
もう11月末が迫って来ているんですけどね、
「2022年10月まとめ」をこれから書きたいと思います。
これは私の日記(NOTE)だから遅れても書けばいいのです。
締め切りは別にないのですよね。
自分でただ「月末には書きたい!」という自分ルールを作ってるだけで。
だからこの「10月まとめ」がまだ書けていないっていう状況については
なんの焦りも感じていなくて、書ける時がきたら書こう、と穏やかに捉えていたんですけれど
なんだかんだで今日まで時間が掛かりました。
気づいたらもう12月がすぐそこで私はぬくぬくコタツに入って書いているわけです。
そうして2022年も、あとちょっとで終わってしまいますね。
これを書きながらSpotifyのClassical Gardenという公式プレイリストを聴いております。
たいへん心地よい、癒されるプレイリストとなっております。
まず現時点での(今後選曲に更新があるかもだから)1曲目のSheep May Safely Grazeは
「あせらないラジオ」第64回でも選曲しましたバッハのアリアで「羊は安らかに草を食み」ですね。
ピアノで練習中のこの曲は11月に入ってから1日1回は弾くようにしています。
ってこれは11月の内容になっちゃうけど・・笑
バッハも素晴らしいしドビュッシーにも唸らされるし、シューマンもフォーレもラヴェルも
やっぱり天才ですね。
簡単に「天才」って言いすぎるのも要注意とか普段言ってますが
やっぱり「天才は天才かも」ね。
ここのところ文章はラジオの台本も毎週かなりの量を書いているし、で
書き足りないってことはないのですが、
それでもいざ何か書く、となると、それなりの長さをいくらでも書いてしまうくらい
きっと自分の中の考えがまとまっていないことの表れなのかもしれないし
発信していなかった時期に溜まっていた分を取り戻そうとして(?!)
一気に喋り続けているのかもしれませんね。
それにしても2022年10月から11月にかけては、ここ近年の私の中でも
最も忙しかった期間かもしれません。
忙しい、と言っていいのか、はわかりませんが
前回の「2022年9月まとめ」↓でも
書いていたように、10月28日から30日まで名古屋の講習会に行っていたのです。
その際に、課題の本を読んで15分くらい皆さんの前で本の感想を発表するという時間があったので
そのために、9月中には本を読み終えて発表のために調べ物をして文章にまとめて、と
準備をしていたのですが、
なかなかに大作(単純にとてつもなく長いってことです!)になってしまい
その準備に当初思っていた以上に時間が掛かったのと
帰って来てからも動画にまとめたり、と・・・
全然落ち着いた日常のペースに戻れないまま
気づいたら11月26日になっていたという感じです。
発表の内容に関しては、ayaradio727YouTubeチャンネルに動画にして公開したことで
既にご覧くださった方もいらっしゃって
あんなに長い動画を(しかも全部見たら3本も!)ご覧下さるなんて・・・
本当に本当にありがとうございます!!の申し訳ないくらいの気持ちなのですが
そこでもお話ししていますし、「あせらないラジオ」第63回でもたっぷりとトークして
自分のストーリーを記録できたので満足しています。
発表を精一杯頑張れたことも嬉しいことなのですが、
それ以上に韓国のイさんとのチングのマイストーリーがこんな幸せな形で
現在につながっていたことの方が本当に嬉しくて嬉しくて信じられないような出来事でした。
三浦綾子さん『海嶺』読書感想発表の動画シリーズはこの3本です↓
これらの動画でもう語り尽くした感があるので、これについては特に書くことはないのですが
自分の中でこの10月中に大きな心境の変化があったのはたしかですね。
日記を読み返していると、
と10月17日に書いているので・・・ハッキリと「私はどう思ったのか、どう感じたのかを語りたい」と
意識がこの頃には変わっていたように思います。
最近、どうして「そんなふうに変わったのですか?」とある方から疑問をもらって
私もどうしてかを考えたのですが、やっぱりこの1年のayaradio727の活動に理由があると思います。
そして、ここ3ヶ月間くらいでも考えがどんどんと変化していっているので
1年前には、自分の中ですごく気にしていたことも今は晴れ晴れと解放されている
というマインドに大きな違いがありますね。
それには、外に向かって自分自身の内面を表現することに制限をかけないでいい
とやっと自分が思えたことにあると思います。
自分自身で納得できるまでは、いくら他の人から促されても励ましてもらっても
やっぱり心を開いていくことはできないんだと、私自身がそうだったので実感します。
「あせらないラジオ」を1年間毎週続けたことで
自分を見つめて言葉にする機会が継続的にありました。
「自己肯定力」や「自尊心」なんて言葉でよく言われますが、こればっかりは不思議なもので
来るべき時にそのタイミングが来ないと、自分で自分を愛せるようにはならないものなのかなぁ、と
感じています。
日常の中にも愛情を感じて、自分が思っている以上に愛されていることに気づけた時に
安心感が生まれて、頑なになっていた心が解放されます。
それには時間が掛かるものなのかもしれません。
人によって性格も状況も異なるので、全く同じ条件の人には出会えないので
みんなに共通する解決方法や大正解はないと思いますが、
最後には「愛」が氷も溶かしてくれるものなんだろうなぁ〜と。
それは人間同士の愛でもありますが、究極的には神様の愛ということに
私の場合はですけど、信じるように変えられたので、
その、自分が信じている「神様の愛」についての話を避けていないといけないのは
実は違和感があって、不自然さにもつながっていました。
ayaradio727という名前で活動を始めた時には私は既にキリスト教を信じていましたが
そのことはオープンにすべきでない、との考えで最初はいました。
それは、やはり日本の中で「宗教とカテゴライズされるものに対する多数の人の反応」を見ていると
「怪しい」「胡散臭い」「宗教は嫌だ」と敬遠する人の声が目についてしまって
「そのような余計なフィルターで見られるのは避けておきたい」と思っていたからです。
結局は自分を守るための判断でした。
「音楽以外のことを表に出すのもなるべくなら控えておこう」とも思っていました。
それはつい最近までそう考えていました。
だけど、聖書講習会『海嶺』の発表の動画を作ることになった時に、最初は限定公開で
教会関係の皆さまだけにご覧いただく動画として作ろうとしていたのですが
これを機に、「あせらないラジオ」リスナーさんたちに向けても
「私自身の信仰の話もオープンにしたいなぁ、してもいいんじゃないかなぁ」と
考えるようになって来たのです。。。
家族や友だちや大切な方達に話しているのと同じように、
取り繕うことなく、今の自分の姿を見てもらえるようにシフトチェンジしていきたい、と
発表の準備をしながら考えていました。
でも迷いもありました。どんな反応で受け止められるのかは不安もありました。
自分のためにやっているのだから、他の人の反応は気にしてもしょうがない、と思いつつも
聴いてくれる方々がいるからこそ発信を続けていられる部分もあるので
一部の方であっても「そんな話は聞きたくなかった」と思われてしまったらどうしよう。
そんなことも頭によぎりました。
新しく何かを始めたり変えたりするときはそれなりの覚悟は必要ですね。
「否定されたらそれはそれで仕方ない!」と諦める力というのかなぁ。
全員から好かれることはまず持って無理な話だし
自分の話に興味持って接してくれる人ばかりでもない、と冷静に捉えていないと
ついつい他者の反応、他者からのお返事に期待してしまう、のが人間の性分だと思います。
プレゼントもそうなのですが、「プレゼントする」時点で
「その人が相手に渡したい、贈りたい」を相手の希望よりも実は優先させている、
かもしれないんですよね。
樹木希林さんが贈り物を受け取らないで断っていた、という話を聞いたことがありますが
欲しいものは自分で気に入ったモノを選びたいし、モノの量も必要以上には増やしたくない人もいる。
そういった人に対して贈り物をする(プレゼントする)ことは、贈る側の欲望は満たせて
満足感は得られるけれど、贈られた側の事を本当に考えているか?と言ったら
いったん立ち止まって考えることになりそうです。
そしてプレゼントすると、どうしても「ありがとう」と言ってもらえるのを期待したり
喜んでくれるかなぁ?と相手の反応にも期待を寄せてしまうんですよね。。。
わかります。
だって、私も贈り物をするのが大好きな方なので、その楽しみもあるのは十分わかっています。
だけど、「お返事や反応を人から期待しない」「送ったら(贈ったら)忘れる」
「自分が一方的に送った(贈った)事で満足する」を心がけるようになりました。
そうは言っても・・・難しいですけどね。
私が西洋哲学史の授業で学んだことのうちで印象に残っているのが
すぐれた行為を行なったことそのものがその人にとっての本当の喜びである
別に褒美があったとしたら、その価値を低くしてしまう
罰を受けたらそれで終わりってことになってしまう
Pietro Pomponazzi (16 September 1462 – 18 May 1525) was an Italian philosopher
ポンポナッツィの話が出て来た時にノートにメモしているので
ずっとポンポナッツィの考え出したアイデアかと認識していたんですけれど
いま検索してみたらハッキリとした説明は見当たらなかったので
ちょっと誰の言葉かはわかりません。
ただ、この言葉を思う時にいつも
「喜びそのものにあふれた」S先生の顔が浮かびます。
S先生は私が知る限りはどんなときもニコニコと笑顔が溢れていて喜びそのものの方でした。
そのS先生が私が受洗した時にお祝いにと贈ってくださった聖句が
テサロニケ人への手紙第一 5章16節〜18節の みことば なのです。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられる事です。
聖書 いのちのことば社 (新改訳) テサロニケ人への手紙 第一 5章16節〜18節
私が最近こんなふうに考えるようになったりこの11年間の集大成みたいに
個人史の振り返りばっかりしているのは、ちょうど学生時代のおともだちとのコミュニケーションが
復活してきた事にも大いに影響を受けていると思います。
10月は予備校時代からのともだちと11年ぶりに会った日、
学生時代に共に同じサークルで活動して卒業後もずっと交流が続いていた数少ないともだちが
出張で関西まで来ていたので会った日、
それから、Facebookでもちょくちょくと以前よりは交流が増えたりして
物理的には距離があっても心理的な距離がかなりグッと近づいたタイミングでもありました。
そうしてその合間にも本を読み進めていきながら自分の言葉で文章を書くレッスンを
一つずつ積み重ねていったことも、心のバリアを取り除くのに手助けになっていたように思います。
しかしながら、日記を読み返していくと、ところどころ、その時々の心の葛藤も書かれており
私だけではないのですが、過去との対峙には痛み苦しみも伴うものだということを
あらためて自分の経験を通じて知らされます。
「忘れっぽいふりしてるだけかも 傷つきすぎたら薬も効かない」というフレーズが
書かれています。
有名/無名
known/unknown
name value なんだろう・・・
そりゃ全部が全部絶好調にポジティブ全開で物事が進んでいくことなんてまずないので
日によって時間によって感情は揺れ動くものなのですよね。
「情緒不安定」であっても気にしすぎなくていいと思います。
夕暮れ時になると1日が終わっちゃうなぁ、寂しいなぁ、切ないなぁ、なんて気持ちに
なるのだって「フッツー」のことだと思いますし
ときには涙をポロポロ流したって、そんな病気を疑うようなものでない、はずです、本来は。
バランスを取るために、自覚できる意志の力とは別のところで、
人間の心身がさまざまなはたらきをしながら、ダメージを最小限にできるように
自らを守りながら生きていっているのだと思います。
そう考えると、人間の持っている力ってやっぱりすごいですよね。
治ろうとする、良くなろうとする、「自然治癒力」と言いますが
もともと持ってる力を存分に発揮できるように
自分の頭の方もフィジカルに協力していかないとって最近は思います。
「持ちつ持たれつ」ですよね。
そんなこんなで、10月は名古屋集会に行くためにはそれまでに前倒しで
「あせらないラジオ」を3週間分録音・編集しておいて予約投稿しておく、という
一大ミッションが私にはあったのです。
休みにしてもよかったんですけど、なんだか前倒しにすれば休まずに出来る気がして
多少無理しちゃいました。
それと並行して、講習会の参加者の皆様にお配りするためのお土産作りをしたり
締切日まで逆算しながら、名古屋に行くまでに間に合うだろうか、ギリギリだろうか・・・
という綱渡り状態で、当日までのやるべきことを一つ一つクリアしていきました。
夜も睡眠を取ってはいるんですけれど、締切を常に意識しながらなのであまり長く眠れなくて
結構朝4時とか5時には起き出して作業していたので、どうしても体力的に無理が続いて
皮膚の状態もそうなると、いつも以上にダメージが出て来てしまうんですよね。
弱いところに出るものなので。
頭が痛い日もね、あったりして、頭皮の湿疹もしばらく治っていたのに
また出始めてきて、見えないところだから自分にしかわからないんだけど
あぁ、これ無理すると良くないなぁって黄色信号みたいなのは点灯してるなぁって
わかってはいるんだけど、「これだけは出発前までに終わらせたい」ラインが
自分の中であって、そこに到達出来ていないから、結局そこに到達できるまではー!
って思って無理しちゃう。。。んですよね。
身近な人にはご心配をおかけしました。ごめんなさい。
そんなときに、聖書講習会になんと韓国からイさんも参加できるという
嬉しい嬉しいニュースが飛び込んできました!
そうなんです、前の「2022年8月まとめ」の時には書いていませんでしたが
イさんとは同じキリスト教の聖書講習会でお会いして知り合ったのでした。
イさんに直接お会いできるのは今回がまだ2回目なのです。
たくさんLINEでやりとり送らせてもらっているけれど、
実際に3年前に初めてお会いしたときにお話したのはほんのわずかな時間でした。
なのに、イさんは私のことをとても良いふうに見て下さっているので
ayaradio727としての活動も応援してくださり、
「あせらないラジオ」もYouTubeで聴いて下さっている(韓国で!)
貴重な貴重なありがたーいリスナーさんでもあります。
そんなわけで、名古屋に行ってからは3年ぶりに再会できる皆さんとの楽しい交流の時間も
待っているので、なんとか今だけは大変でもがんばろう!と準備を進めることが出来ました。
そして、出発前日には家族のお誕生日会のパーティーもありまして、
本当に28日当日の新幹線に乗るための電車の出発ギリッギリまで発表する原稿を直したり
色々やっていたんですけど、、、もう実はその時点で疲労もピークに近かったのですが
新幹線の中でもひとりブツブツと小さな最小の声で原稿を読んで録音してみて
制限時間内に終われるかをリハーサルしてみていました。
目標にしていた15分台だったのでこれで行こう!と決めました。
名古屋駅には講習会が始まるよりもかなり前に着くように計画していたので
JRの駅から小型スーツケースの荷物をゴロゴロ引きずりながら徒歩で
「ノリタケの森」まで足を伸ばして、ひとりの自由時間を満喫しました。
実は当日あまりにも綺麗な場所だったのでノリタケの森から突然インスタライブもしました!
アーカイブを残していますのでこちらから見られます↓
唐突ですが「2022年10月まとめ」は、このへんでそろそろ終わりたいと思います。
聖書講習会での発表内容やイさんとのチングへのマイストーリーはYouTubeで
たくさんお話したので、後で写真だけ追加するかもしれませんが
今日は力尽きてきたので、おわり〜。
とにかく「よく頑張りました!」自分でもそれだけはたしかなこととして、
この先も振り返った時に「たぶん最近で一番忙しい1ヶ月だったけどよくも倒れずに頑張れた」
ってことは記憶しておきたいと思います。
まだまだちゃんとTo Doが終われていないことが残っていまして、
でもまぁそれも「あせらない」でやっていかないと
結局1日にできることって限られているってことが十分にわかっているので
焦ってもほんとにしょうがない。
私がずーっと言い続けている「あせらない」ってのが一体どういう意味での「あせらない」なのかは
伝わっている方には伝わっているけれど、いまいち伝わっていないかも?とも
思ったので、この「あせらないラジオ」第64回を聴いていただければ・・・
ちょっとクドクドしてるところもありますが
きっと言わんとしているところはよりお届けできるんじゃないかと、思っています。
ま、すべては受け取られる方の自由なのですけどね、究極的には。
言葉って難しいなぁ〜とか、こんなにも意図とは違った意味にとられてたんだなぁ、とか、
気づいた時にはビックリするときもありますが、、、
どんまいっ!
ゆったりとまいりましょう〜!