2023年4月2日(日)スタートしています。
お久しぶりの【NOTE】更新でございます。
2022年は毎月終わりに「1ヶ月まとめ」を書いていました。
2023年も続けるつもりでいたのですが・・・
気づいたら・・・もう4月に入っていました。
いや、この感覚、ほんとそのまま、言葉通りなんですよね。
この3ヶ月間の記憶自体はたぶん失くしてはいないものの、
とても「ゆーったりとまいりましょう〜」を保てるような
速度ではなかったので、なんだか・・・
矛盾点が自分の中で大きくなっていったのかなぁ〜?
なんかもう言葉にできなくて・・・。
でも、その分だけ、また作品が ぽこぽこぽこぽこ 生まれていってるのですよね。
どんどん湧いてくるアイデアに対して
自分自身のキャパシティが追いついていっていないかんじで
気力体力はかなり使いました。
一生懸命に何かを頑張って続けようとして
当初の計画通りにはいかないことって
実際によくある話だと思うのですが・・・
「何もそこですべてが終わりじゃない」むしろ
「そこからが本当のスタート!」
「本領発揮できるとき」なのかもしれないって思えてます、今はね。
わたしの基本的な考え方のベースにあるものは
「どうしたらより良くできるか」を常に追求していくところにある、と
最近になって感じています。
というのも、どんな状況にあったとしても、
ほんのちょっとなら「隙間」を見つけて
どこかに現状の「突破口」となる 希望のカケラを
探し出すことは可能なんじゃないか、と
信じているからなのでしょう。
「神様は決して悪いようにはなさらない、わたしたちを守ってくださる」
そのように考えています。
そこはどうやったっていつも楽観主義です。
現実は冷静に見ようとします。
時には悲観的になる局面であることも理解しているつもりです。
それでも究極的には「きっとなんとかなる」または
「どうにもならないから しばらくはこのままやり過ごそう」と
生き抜くための自分の存在理由をこじつけでもなんでもいいから
どっかから引っ張ってきて、自分の中心に据えるのです。

そこは思いっきりこどもっぽくてもいいのだ、と自分で自分を認めようとしています。
さて、タイトルにもあるとおり、こどもとか大人とか一体どうやって決めたのでしょうか。
こども という概念自体が歴史的にずっと古く昔からあるものでは実はないんだ、というのを
読んだことがあります。
ある年齢になったから、といって
いきなり成熟した思考や行動ができるようになるものではないですよね。
どういった状態のことを「大人」だと私たちは考えているのでしょうか。
そもそも自分を本当の意味で「大人」だと捉えることは出来ているのでしょうか?
果たしてこの現代社会においては「大人」が良いものの象徴として機能しているでしょうか?
なかなかにそうは思えない厳しい現実が目の前に広がっているように感じます。
言葉での定義というのは本当に難しくて
実は複雑な問題を孕んでいるので
言葉を使うことで何重にもまた違う層の意味合い、解釈を生んでしまう、
そういった構造があると思います。

今のわたしはいつまでも「こども」のままでありたい。
そう願うシーンが多くなっています。
こども時代にもすでに残酷なシチュエーションにはたびたび遭遇してきましたが
それでも「善を<疑わずに>ひたすら信じていられる」頃の自分が持っていた
感性を解き放てていた状況を、なんとかしてあの感覚を取り戻したい。
そう願うからこそ、この面倒くさいこと山積みの現代で
抗いたくなってしまうのかなぁ、と、、、
たとえ「無駄死に」だったとしても、なんらかの爪痕だけは必死こいて残してやるぜ!
的な少年ジャンプの主人公っぽい(それも昔の? 今は読んでいないからわからない)
性質が自分の中には眠っていて、それを呼び起こされた時に
こんなにもエネルギッシュで情熱的に強く強く熱く熱く燃えさかれる炎を
自分の中には飼っていたんだと、ビックリしたのでありました。
わかったような、わかりづらいような話でごめんなさい。
あきらめない強さで言ったら、仙人級まで貫き通したい!のでした笑

