お久しぶりの日記です

NOTE

2月が始まりました。

いかがお過ごしでしょうか。

最近は意識してわたしスローリーなんです。

「ゆーったりとまいりましょう〜」を「あせらないラジオ」では

合言葉にしてお送りしていますが

この「ゆーったりとする」がなかなかうまくできないんですよねぇ。。。

気がついたらやり過ぎてしまうところがあって、

「疲れた」って自分の中からのサインを見逃さないようにしないと

後でどーっとしんどくなっちゃうことになるので要注意なんであります。

だから、本当はもっとめいっぱい頑張りたいし、

とことんまでやりたいって自分もいるけど

長く続けられるようにするためには

「ゆーったりと無理しないこと」がいちばんなんだなぁって

あらためて感じているので

スローペースをなるべく守るようにしています。

同じようなことラジオでも何度もトークしていますし、

このNOTEにもくりかえし書いていますし、

ayaradio727はいつも同じようなことばっかり言ってるなぁって

このNOTEを読んでくださっている方に思われてても仕方ないんですけど笑

それはやっぱりこれまでの私の経験のなかに苦い思いをしたこともあって

できるなら他の方も同じような苦しい体験をしないで済むのなら

して欲しくないなぁって思っているので

同じようなことを何度も何度も書いてしまうのかもしれないです。

人って自分でも気づかないうちに頑張り過ぎちゃうんですよね、ついつい。

「頑張る」「頑張って」「頑張ろう」って言葉を前向きな意味で捉えられていた頃に

子ども時代を過ごしたこともあって

わたしは「頑張り屋さん」なほうで、なんでも頑張る自分が好きだったから

自分から進んで何事に対しても頑張りたかったし

「頑張って」って人から応援してもらえるのも

「頑張ってるね」って言ってもらえるのも嬉しかった。

それが悪いことだなんてちっとも疑ってなかった。

だけど、夢中で一生懸命に頑張り過ぎたから

結果的には自分自身がしんどくなってしまう事態になってしまう、

という苦い体験を何度かくりかえしてからは

今度は頑張ることがすごく怖くなった。

無理をしない=何も頑張れない=何もできない

何をしていいのかわからなくて希望がなくなってしまった。

自分を信じられなくなった。

「頑張る」ことが自然には出来なくなってしまった。

そして「本気で頑張っていない自分は好きになれない」と心のどこかで思っていた。

そういうしんどい時期があって

(こういうとき「しんどい」って言葉がやっぱりいちばん感覚的にしっくりくるなぁ)

いろいろな出会いがあって、今の穏やかな自分自身へとつながっているから

今になって思うのは

「自分では全然頑張れてないって思っていたときだって実際はすごーく頑張っていたんだなあ」

ってこと。

だから、この書き方でスムーズに伝わるかわからないけれど

たとえ何も頑張っていないように見える時でも

生きるだけで何かしら「頑張って」いるってことにあとから気づいた時に

自分でそのときのしんどかった頃の自分を優しく抱きしめてあげたいって思うのです。

「そのままで大丈夫だよ」って言ってあげたいなぁって思うのです。

生きてるだけで頑張ってる。えらい。今日もよくがんばった。

がんばらないことをがんばった。

そんなふうにわたしは過去の自分に伝えたいなぁって思うのです。

というのは、、、

たとえうまく人並みには頑張れない時でも

十分に「生きる」ことをがんばっている自分を認めてあげないと

「生きる」ことさえも困難になってしまう時が人間にはある、と知っているから。

ayaradio727を始めるよりも前の私には、

「こうしなきゃいけない」っていう枷がたくさんあった気がする。

それは誰かから強制されたものではなくて、

自分の中で「こうしたい」「こうなりたい」という強い願いから

「そのためにはこうしなきゃいけない、こうでなきゃいけない」とルールを作り出して

いつの間にか自分を頑なにがんじがらめにしていっていたところがあるように思う。

そして、いったんすべてリセットというか、ストップしてしまって

自分で決めたルールや「こうあるべき」の縛りなんて

到底そんなこと気にしてはいられないくらいの状況になったことがあって

そうなるとそれまで持っていた従来の価値観や考え方からは変わらざるを得なかった。

今だから言えることだけど、その経験によって私は本当に大切なことを学べたんだと思っている。

それらを経験した上でayaradio727を始めたから、

「ayaradio727」が今の形になっていて

あのときの「ストップ」があったから、

「無理をしないでゆーったりとする」を

自分の大切なテーマにしてこうして自分らしく活動できているんだと思う。

そして、様子を見ながら、体調を見ながら、がんばって何かに一生懸命に取り組めた時に

本当に嬉しくて喜びを感じる。

それは「できなかった」時期があるからこそあらためて感じられる喜びなんだと思う。

「こうでなきゃいけない」「こうあるべき」って基準は

自分で無理に決めてしまう必要はないと思っている。

「普通」がなんなのかさえもよくわからないけれど

全体の中で見たら「特殊」か「普通」か「平均的」か、

それはただの分類でたいした意味はない。

本当に大切なことを学べた、とさっき書いたけれど

それは、わたしにとっては「愛」なのです。

生きるうえで愛がいちばん大切だって心から信じてる。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

コリント人への手紙 第一 13章13節 (新改訳)

愛を信じられるから生きていられる。

神様の愛を信じています。

そして自分以外の人を愛したいです。自分のことも愛したいです。

そしてやはり愛されたいです。

わたしが危機的な状況に陥った時にいつも愛によって救われています。

そのことをずっと覚えていたいのです。

ayaradio727はまず自分自身を大切にして、自分以外の人も大切にできるように

愛に生きたいなぁって希望します。

「ゆーったりとまいりましょう〜」には、

実はそんな思いが込められていたってこと、このNOTEを読んでくださった方に

ほんのちょっとでもお伝えできたら嬉しいです。

ayaradio727の音楽、ラジオ、作品を知ってくださって

この広い世界の中から見つけてくださってありがとうございます。

感謝を込めて♡

休み休み、ゆっくり ちょっとずつ がんばっていきたいです

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